
一時はボートレーサーへの夢をあきらめ、一般社会で奮闘しながらも、年齢制限引き上げによってレーサーを目指す機会を得て、そのチャンスを活用しボートレーサーとしてデビューを果たした加藤政彦。
その加藤は、いきなりボート業界に入ってきたわけではなかった。つまり「前職」があるのである。
やまと学校の受験年齢制限が30歳未満に引き上げられたのが、106期から。その106期生として、25歳でやまと学校に入所し、1年後にデビューした加藤政彦。
その加藤はボートレーサーになる前は、一般の会社に勤める『サラリーマン』だった。
そんな加藤が、やまと学校に入所する25歳以前は、どういった人生を歩んでいたのか。
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転職ボートレーサー加藤政彦の詳細
名前 | 加藤政彦 | ルビ | カトウマサヒコ |
---|---|---|---|
生年月日 | 1984/05/25 | 登録番号 | 4598 |
身長 | 162cm | 体重 | 52kg |
血液型 | A型 | 支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 | 登録期 | 106期 |
転職ボートレーサー加藤政彦の学生時代
それは、ボートレースとは縁もゆかりもない、勝負の世界とも関係のない、文字通りの一般社会での青春時代であった。
加藤の学歴は、大卒。4年制大学を卒業した者は、年齢制限が20歳未満だった106期以前ではやまと学校への受験資格はなかった。
数十年前には大卒レーサーが存在していたが、ここ数十年は年齢制限によって誕生することはなかった。
加藤は、大学2年のときにテレビでボートレースと出会い、おおいに興味をそそられたが、その時点ですでに無念にも受験資格はなかった。
加藤は一競艇ファンとして大学生活を送ることになる。大学在学中も、大学卒業後も、時間があればボートレース場に足を運び、レースを観戦。
叶わない夢とは分かりながらもボートレースの魅力に触れていく度にその想いは強くなっていった。
転職ボートレーサー加藤政彦のサラリーマン時代
大学を卒業した加藤は、技術者として精密機械メーカーに就職。CAD技術者の資格ももち、そのまま技術者として歩み続けることも充分にありえた。
もし業界が年齢制限引き上げを検討もせずにいたら、あるいは検討したとしても導入の時期が大幅に遅れていれば、加藤はそのまま一競艇ファンの技術者として、人生を送っていたはずだ。
転職ボートレーサー加藤政彦のやまと学校時代
そんな加藤の運命を変えたのは、2009年。106期生から受験資格が30歳未満となったことで、加藤の諦めかけた夢に再び火が灯った。
ボートレースの世界で生きるということ。レーサーとして、今まではスタンドから眺めていた世界に身を投じるということ。その想いが加藤のなかでどんどんと強くなっていき、ついにやまと学校を受験する決意を固める。
それまで積み上げてきた技術者としての経験・立場を捨ててまでも人生をリセットし夢の世界にチャレンジすることを決めたのである。
家族の理解も得て、加藤は見事に106期の受験に合格。
加藤は特に母親にボートレーサーになる夢を相談していたようで、その時快く賛成をしてくれて応援してくれた母親がいたので今の自分があるとコメントしている。
レーサーとしての第一歩を踏み出した加藤は、サラリーマン時代とは質の違う厳しさに戸惑いながらも1年間の訓練を必死にこなして、2010年3月にやまと学校を卒業。
念願のボートレーサーデビュー!
5月に念願だったデビューを果たす。その時、加藤は26歳。
デビューは2010年5月。地元・多摩川で迎えている。デビュー節は6走して6着が5回、5着が1回と、プロの洗礼を思い切り浴びる結果に終わったが、約1カ月半後の7月8日、浜名湖でデビュー初1着。
デビューして最初の半年で3勝をする好成績でスタートも新人にしては早く、レーサーとしての出発は順風満帆だった。
その後は、トントン拍子にはいかなかったが、着々と地力を養い、時に中々勝てずに悔しい時期を送りながらも、デビュー4年目にはA級に昇級。
デビュー初の優勝戦出場も2年2カ月目に経験。同期には早くからA1級に昇級した岩瀬裕亮などもいるが、加藤もまた順調にステップを踏んでいると言っていいだろう。
着々と成長していった加藤は13年新鋭王座決定戦でGI初出場を果たした。初のGIに意気込んで臨んだが、抽選で引き当てたモーターはポテンシャルが高いとは言えず、大負けはしなかったがイマイチ突き抜けられないという成績で、新鋭王座を終える事ができなかった。
新鋭王座決定戦が無念の廃止!
加藤にとって不運だったのは、新鋭王座が突如、この年で廃止と決まったことだ。もし存続なら、あと2回は出場できたGIレースが、消えてしまったのである。
その代わりに新設された若手最強決定戦が、プレミアムGIヤングダービー。これは、当該年9月1日時点で30歳未満の選手に出場資格が与えられるものだ。
1984年5月生まれの加藤は、第1回ヤングダービーが行なわれる2014年9月1日には、すでに30歳になっている。出場資格がないのだ。
やまと学校の年齢制限引き上げにより、結果的に同様の憂き目にあった“若手”は他にも何人かいる。加藤は、ボート界の風物詩のひとつでもある“若手最強決定戦”にたった一度きりの出場で、無念の卒業となった。
大きな目標を一つ失ったことが影響したのか、事故点過多も響いて、加藤は一時的に成績を落としてしまっている。
2015年には地区スター候補選手に!
それでも、昨年後半からは逆襲に転じ、ふたたび成績が伸びていった。
A級にも復帰して、ますます奮闘を続けている。デビュー6年未満に出場資格のあるルーキーシリーズでは、主力を担う一人だ。
そうした活躍がボートレース業界的にも認められ、加藤は2015年の地区スター候補選手に選ばれる名誉を得たのである。
これは特別訓練や斡旋優遇措置が受けられるなどの特典がある制度で、一度地区スター候補選手に選ばれたからには、飛躍しなければならない。その思いを胸に、加藤の奮闘と努力は今後もますます続いていくはずである。
一度はかなわぬ夢と思った世界に、別の世界から飛び込んで、今も必死で成功を収めようとしている加藤政彦。
今の若者達も、何か夢を諦めかけたら加藤のように諦めず夢を追い続けいって欲しい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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